不安神経症を克服した芸能人!
現代はストレス社会。誰もがストレスにさらされ、ストレスを抱えて生きています。
そうした毎日によって精神疾患に罹る人も少なくありません。
明日への不安、今日の不安。
そのような不安が大きくなった時、はっきりとした理由も無いのに不安に駆られ、不安がいつまでも続くようになります。
不安神経症です。
現在は、「神経症」という用語が正式な診断名として使われなくなったため、パニック障害か全般性不安障害と呼ばれています。
パニック障害を患い、この病気を克服した芸能人を2人ご紹介します。
父の栄光が自分を追い込んだ長嶋一茂
偉大な野球選手であり、監督だった長嶋茂雄が父。
野球をしている間、長嶋一茂は、絶えず父の栄光と向き合わざるをえませんでした。
思うような結果が出ないと、自分を追い詰め、プロ2年目の頃から悪夢をみるようになったと言います。
30歳でパニック障害を発症。
病院を受診しますが、病院だけではよくならないことに苦しみます。
自分で治す努力をしなければ治らないと奮起。
さまざまな生活改善を試します。
自己啓発的読書、規則的な生活、食生活の改善、断食、自己対話。
そうした努力をする一方、大きな転身を図ります。
プロ野球選手を引退し、芸能界入りします。
芸能人として活躍できたことで、長嶋一茂はストレスから解放され、パニック障害を克服することができたと言います。
自らの闘病生活と病気の克服は、著書『乗るのが怖いー私のパニック障害克服法』(幻冬舎新書)にまとめられています。
自分を責めないこと、ストレスを上手く抜いてあげることが重要と、長嶋一茂は語っています。
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少しだけ頑張って健康を取り戻した円広志
関西で多数のレギュラーを持つ円広志。番組収録中にめまいを起こしたことが、パニック障害を発症した始まりでした。
めまいに加え、ふらつきや不安感にも悩まされるようになって、あちこちの病院を回ります。
しかし、パニック障害への認知度が低かった当時、医師からは原因不明の難病と告げられてしまいます。
落胆し、病院を転々としているうちに、ようやくパニック障害との診断が下ります。
原因が分かったことで、それまでの不安が払拭され、嬉しかったと、円広志は語っています。
一旦は休養に踏み切りますが、4ヶ月後に復帰。
復帰した時には、いつパニックに陥るか分からない不安を抱えていたそうです。
無理がたたった時には、体が硬直することもあったとか。
しかし、病名が分かったことで、病気と付き合うつもりで、あまり悲観的にならないようにしたそうです。
薬を飲みながらでも、少しだけ頑張ると、健康だった自分を取り戻すことができると、仕事を続けたと言います。
仕事を通して回復への道を模索した円広志。
闘病生活は、著書『僕はもう、一生分泣いた パニック障害からの脱出』(日本文芸社)に記されています。
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